【B社員試験(大ボスとの戦い)】
入社式が終わり、”臨戦態勢”に入った私は、とりあえずの目標を「店長」に定めた。
その当時の社内での店長の位置づけは、副店長までと比べて別段高く、ここには太く、大きなラインが敷かれていたように思う。やはり元々職人上がりの人達が多かったため、年齢層が高かったと言うのも一つの原因かもしれないが、まだまだ小さなユニットで在ったRDCの本部には役職者もそれほど多く無かった為に、社内ではそれぞれの店長がかなりの威厳を持っていた。
「とにかく1日も早く店長に成る!」その事だけを考え、日々の仕事に取り組んだ。恐らくどんな場合でも”成功法則”と言う物を一言で表すと、「ゴールからスタートする!」と言う事だと私は思う。「まず目標(ゴール)を決めて、その目標を達成する為に必要な能力(知識や技術)を割り出し、その必要な物と現在の自分の能力とのギャップを埋めて行く。」と言うのが、成功(目標達成)の為に必要な作業なのだと思う。だから目の前の事を行き当たりばったりで一つ一つ潰して行くと言うよりも、必要な事を目の前に”持って来て”、そしてそれを確実に潰して行くと言うイメージでないと、やはり余計に時間がかかってしまうのだろう。私は、まず店長に成る為に、自分に身に付けなければならない能力を割り出した。そして導き出した答えは、①寿司や魚の知識と技術を覚える。②回転寿司に必要なマネジメント技術覚える。と、大きく分けるとこの2つの事が必要だと判った。幸い私は調理人出身で、しかもレストランの店長経験もある。だから味噌汁を作ったり、ちょっとした煮物を作ったりなどはレシピさえあれば問題なかったし、一般的なレストランの店長レベル位のコスト管理から、人材教育、リーダーシップの取り方なども既にある程度身に付いていた。その為、寿司を覚えて、回転寿司を覚えれば、恐らく店長までには成れるだろうと踏んだのだ。
ただ、”寿司(魚)を覚える”にしても、”回転寿司を覚える”と言う事にしても、恐らく1ヶ月や2ヶ月で覚えられるものでは無いと言う事はなんとなく判っていた、やはり1年を通して旬の魚を見なければならないし、その季節によって取り扱う商品が変わると言う事は、その時によって売れる物が変わると言う事。「はやり最低1年は通して見て見ないと、回転寿司の本当のマネジメントは出来ないだろう。」そう思った。
だから私は、店長に成るまでの目標期間を”1年”と(勝手に)定めた。1年間通して、寿司(魚)や回転寿司のマネジメントを見ながら、並行して寿司の技術を身に付けて行こうと考えたのだ。
だがしかし、”世の中そんなに甘く無い”とここでも少し味わう事に成る。がってん寿司で店長に成る為には、大きな大きな障壁があったのだった......
(当時の)RDCの社員階層は、入社3ヵ月間は、「見習い社員」。その後、余ほどの事が無い限り、「A社員(一般社員)」へと自動昇格する。この時私は、入社式を終えたばかりの「A社員」。そして次の階層は「B社員(技術認定社員)」に成るのだが、ここに成る為には、先ほど言った一つの大きな大きな障壁があった。これは俗に言う”B社員試験”と言う物で、RDCが独自に制定した”技術認定試験”の事。この試験は3ヵ月に1度しか無く、しかも、これに合格しないと役職者に成る権利が生れないのだ。だから未合格者は、店長どころか主任にさえ成る権利が無い(そもそもこの試験を受けられるだけの技術が無ければ、店長推薦を受けられず、受験できない)。だから皆、とりあえずこの試験の合格を勝ち取るために、日々日々技術の習得に励むのだが、基本的にこの試験のスタンスは”落とす為の試験”。だから非常に厳しい内容に成っていた。その内容はと言うと、①寿司の早握り(ネタはマグロとイカ半々)を3分間に17皿(34貫)以上握る(もちろん汚い寿司はカウントされない)。②マグロの仕込み(制限時間以内に、縦3.5cm、横10.5cm、重さ20g(+-1g)で全て切りつけ終わる事)。③真鯛の仕込み(制限時間以内に、縦3.5cm、横10cm、重さ16g(+-1g)で全て切りつけ終わる事)。④その他簡単なペーパーテスト。ざっくりと言うとこんな感じだが、このそれぞれの種目に、試験官である”総料理長(元こてこての職人)”のキャリアから成る“感性”によって、更に優劣が付けられる。ここでは細かく書かない(細かすぎて書けない)が、例えば、握りや仕込みの時のリズムや、包丁の使い方。真鯛の仕込みに関しては、下ろし終わった後のまな板に、鱗が1枚でも残っていたら不合格。とこんな感じである。よって、3ヵ月に1度しかないこの試験に中々合格できず、長い人では試験を受け始めてから2年以上の歳月を費やしていた者も居た。「どうしてそんなにかかるの?」と思うかもしれないが、この試験には”魔物”が棲んでいて、普段は出来る(だから受験できた)のに、いざ本番になると”緊張”してしまい、普段の力が出せない。だから合格するには、それなりの度胸や場数。或いはその緊張をも上回るだけの”熟練”が必要だと言う事なのだ。
私は、この”店長に成る為の最大の難関”をぶち破るべく、入社当初から日々日々精進した。魚を下ろす技術を覚える為には、先にも触れた、「自主的早番出勤」を継続した。そして寿司の技術を覚える為に私がやった事は、これは今だから言えるが、営業中、アイドルタイム(ランチピーク終了~ディナーピークが始まるまでの比較的暇な時間帯)に板場に居た時には、暇を見計らっては常に早握りの練習をしていた。ネタには安い”イカ”や、持ちの良い”エビ”を2皿分ずつくらい用意し、このネタが擦り切れるまで、何度も何度も握ってはネタをはがし、またシャリをおひつに戻してまた握り、アイドルタイムの2~3時間のほぼ全てをこれに費やした。大体この時間でおひつ1本(米2Kg分)を”無駄(この時私は、私が成長する事がRDCへの貢献と勝手に解釈していたので、この時点では無駄だと思っていないw)”にしていた。だがこのお陰で、私は見習い期間中の3ヵ月以内には、なんとB社員試験の合格基準である、3分間17皿をクリアする事が出来た。そしてこの報告を受けた当時の店長は、その後あわてて私を「仕込みシフト」に替えた。それ迄は、営業中には板場で寿司を握っている事が多かったのが、必要な時以外はキッチンにて仕込みをさせて貰える様になった。特に、試験項目に在る”マグロと真鯛”の仕込みは優先的に私に回してくれた。そんな協力的な店長をはじめ先輩社員のお陰で、そこからB社員試験の受験まで、私は店で仕込み中心の仕事と成ったのだが、ここでもこのモンスター店舗の特権を享受する事が出来た。何せ毎日バカみたいに売れるこのお店では、毎日の仕込みの量も半端じゃ無い。例えばマグロの量にしたって、毎日平均10キロ、土日ともなると20キロ~30キロのマグロを下ろしていた。こりゃぁ上手く成らない訳がない。私の”仕込み修行”は、こういった好環境の中で進める事ができた。
そんなこんなで、私が初めてB社員試験を受験したのは、正社員に成ってから半年が経った、H12年3月(当時27歳)。 先ずは当日受験をする全員で、ペーパーテストを行った。このテストは真面目に社員をやっている者ならば至って簡単な物で、不合格に成る者はほとんど居ない(稀に不合格者がいたが.....)。そして次に、真鯛とマグロの試験。キッチンの3か所のまな板を使い、順次仕込みを行っていく。そして最後に早握り試験。2ヶ所の握り場で、2名ずつ順次行って行く。多くの者にとって、一番の難関である「早握り」の試験、実際に握っている時間は3分間、準備の時間を入れても10分足らずで1組が終わる為、どんどん自分の番が近づいて来る。それと比例して、緊張感もどんどんMAXに近づいて行く。そしてとうとう私の番が来た。私の当時の自己ベストは 、3分間17皿の基準ぎりぎりであった為、当日の緊張などを考えると、「今回この種目は無理かな?」と実は始まるまでは半ば諦めていた。しかしいざ自分の番が近づいた時、「でもやるからには精一杯やるか?!。」と、適度な脱力感と緊張感の絶妙なバランスの中で、試験はスタートした。前の受験者が終了して、自分と交代した後は、3分以内に準備をしなければならない。練習して来た通りに皿を並べ、ネタを用意し、シャリを解す。未熟なうちは、ここに寸分の狂いが生じると、たちまち手元が狂い、3分間17皿は握れなくなる。焦る気持ちを抑えながら、出来る限りのスピードでそれを整えて行く。そしていよいよ本番開始。「よーい、スタート!!」。試験官である総料理長の、気合の合図とともに計測がスタート。その後30秒毎に経過時間を告げられる。「30秒!」「1分経過!」「1分30秒経過!」と、あっと言う間に時間は過ぎて行く。しかし、その脱力感と緊張感の絶妙なバランスが良かったのか、気付くと私は、握りのタイムトライアル開始後2分位まで、なんと自己ベスト更新のペースで握っていた。「えっ、もしかしたらイケるかも!?」私は手先をこれ以上動かせないと言う位早く動かしながら、とっさに頭の中にそんな事を考えてしまった。残り時間は1分。ここで”魔物”の登場である。そんな邪念が頭によぎってしまったとたんに、私は動揺し、手が震えてきて、結果16.5皿と言う結末で終わった。これが、自分vs魔物の”3分間のドラマ”と言うやつだ。自分のチキンさに情けなくなった。
結局この日の合格種目は、ペーパーと真鯛の2種目。マグロと早握りを残して、3ヶ月後の2度目の試験まで再修業と言う事に成った。ただし、既に種目の絞り込まれた中での技術の磨き上げは、そう難しくは無い。私はやるべき事を日々淡々とこなし、幸いにも、2度目の試験で全てを合格する事が出来た。時はH12年6月。それは、私が正社員に成って丁度1年が経とうとしていた時だった。ここで、晴れて私は”昇格”をする権利を得た。すると会社はこのタイミングを待ってたかの様に、私は試験合格と同時に、翌7月1日付けで、「主任」に昇格した。
ずーっと店長に成る事ばかりを考え、その為にそれなりの努力をし、またRDCに入社する前に、一度レストランの店長経験がある私にとっては、もしかしたら主任に成る事はそれほど難しく無かったのかもしれない。だが、やはりそこは技術職。”職人”の世界である。”1年で店長に成る”と言う目標は叶わなかった。出来うる範囲の努力はしたが、会社が定めた”技術者”と認定されるまでに約1年の月日を費やしてしまった(これでもかなり早い方ではあるが)。私は一瞬「しまった、誤算か?」とも思った。が、しかし!現実は違った。これは後に成ってようやく気付いた事だが、B社員試験を突破した今、ここから店長に成るまでの間には、実は特段大きな障壁は無かったのだ。それぞれの店長達の威厳の大きさを前に、ただなんとなく、入社してから店長に成るまでに戦わなければいけない最後の相手は、漠然と「店長」と言う職位の手前に何か得体の知れない”大ボス”の様な物がいると思い込んでいた。しかし実はそこそこレストランのマネジメント技術や知識がある者にとっては、あの”B社員試験”こそ大ボスで、そこを超えたら後は回転寿司の店長として機能出来る様に、経験値を積む為のエピローグの様な物だったのだ。
だから大ボスを倒し、明るく視界の開けた出口へと立った私は、今度こそ、本格的に次のステージで暴れまわる準備が整った。
【最優秀社員賞、そして店長へ】
平成12年(2000年) 7月 27歳
見習いが明け、正社員に成ってから丸1年で、私は主任に成った。そしてそれと同時に、私の自宅から通えるもう一つの店舗「がってん寿司伊勢崎店」へと移動となった。
そしてここで、主任を半年やった後、副店長に昇格した。がってん寿司の中で副店長と言うのは、「副を取ったら店長」と言う事で、ユニフォームなどが店長と同様に成る。他の者が紺色のハッピを来ている中、白のハッピになり、そして赤い鉢巻きから紺色の鉢巻きへと変わる。こんな些細な事だが、意外とこれが、従業員のステータス・シンボルだったりする。私も副店長に成った時に、店長から初めて渡された紺色の鉢巻きの”重さ”は今でもはっきり覚えている。
やっとここまで来た。私がとりあえずの目標に定めた「店長」まで、あと一歩である。私は更にペースを上げた。これも私の(個人的な)”成功法則”の一つだが、出世する為に必要な行動パターンとして、「上司に仕事をさせない。」と言うのが在る。要は、上司に手出し、口出しされている内は、まだ自分が未熟だと言う事。だから自分が出世する為には、その時の自分の上司の仕事を全部取れる様に努力すれば良いのだと私は思う。もちろんそうする為には、自分にそれなりの力量が無いと出来ないのだが、先ずはその事を念頭に仕事を進める事がとても重要だと思う。当時の私の口癖は「店長、あとはやって置きますので。」「店長、店は大丈夫ですので。」そんな事ばかり言っていた様に思う。もちろんその裏には、大きな”責任”と言う物が付きまとうが、これも、一度店長経験のある強みである。私は出来るだけ店長が営業に参加しなくてもよい状況を作った。店長から譲り受けた、店長最大の仕事ともいえる”ワークスケジュール(タイムテーブル)”では、店長のラインを何時も「F(フリー)」とした。こんな事をしながら、私は次の店舗が出来、社内で新たな店長が必要に成る時を待った。
平成13年(2001年) 6月 28歳
いよいよその時は来た。
RDCでは6月が決算月の為、このタイミングで毎年”社員総会”を行う。年次報告や、新年度の目標などの報告もお決まりの様にあるが、我々が楽しみにしていた催物の一つは”技術選手権”。早握りや軍艦、巻物など、各店から代表者が1名ずづ出場し、そのスピードと正確性を競う。特に早握りは花形で、これに優勝すると、絶大なる名誉と、賞金や副賞(アメリカ西海岸旅行)が貰えるので、社員の中にはこの大会に向けて1年越しで練習する者も居た。一般の方の中にも知っている人は少なくないと思うが、がってん寿司には早握りの”TVチャンピオン(2連覇した)”が居るが、これも、こんな社風から生まれたものだった。私もこの大会を初めて見た時には、やはり鳥肌が立ったのを覚えている。「凄い会社だ!」これほどまでにワクワク、ドキドキできる会社もそれほど多くは無いだろう。実際に初年度の大会で触発されて、入社してから2年目の社員総会で「軍艦」の選手として出場し、その年の年度チャンピオンに成った。だがその後は、”ある個人的な理由とこだわり”にて、このスピード系の競技には一度も出る事は無かったが.....
この社員総会のもう一つの目玉として、”各種表彰”がある。その年の様々な取り組みに対し表彰が行われるのだが、中でも最高位の賞として、「最優秀社員賞」「最優秀店舗賞」「最優秀店長賞」と言う3大権威があった。それぞれ受賞できるタイミングが限られているので、実力とタイミング(もちろん運も)の両方が合わないと中々受賞出来なかったりする。例えば最優秀社員賞は、店長になったらもう受賞対象外。もちろん最優秀店長賞は店長のみ対象。私がこの年受賞出来る可能性が在るのは、最優秀社員賞のみなのだが、店長とも成れば、やはり皆、なんとか「最優秀店長賞」を取りたいと考えていたりするが、まだ副店長までは、他の店舗の社員がどれほど頑張っていて、どれほど仕事が出来るかなど比べようが無いので、それほど自分には関係の無い物と言う感じで、正直どこか他人事。そんな中で社員総会のクライマックスがやって来た。一番最後、本当に大トリでこの3つの賞は発表される。場内は暗くなり、司会者が進行をして行く。「続いては、最優秀社員賞を発表致します。」場内は静寂に包まれる。
「株式会社RDC、平成12年度の最優秀社員賞は!..........................................がってん寿司伊勢崎店 武 勇!!」。。。 一瞬、時が止まった。。。。。
その当時いたRDCの社員は、全部で150名程だろうか?来賓を合わせても200名足らずの人数だったと思うが、場内から割れんばかりの拍手が起こった。 その拍手で私は我に帰り、ようやく起こった事の大きさを実感した。殆ど心の準備をしていなかった私は内心焦った。この拍手の中、とりあえず促されるまま壇上まで行ったのだが、この時はまだ、嬉しさよりも、妙な緊張感で心がいっぱいだった。そして表彰。大島代表が壇上中央まで来て、私に大きく微笑みかけた。その本当に嬉しそうに微笑む笑顔を見た時、それまで緊張感でいっぱいだった私に一気に感情が蘇って来る。私はその溢れだす感情を必死に抑えながら、大島代表の笑顔に応える様に無言のまま深くお辞儀をした。。「表彰状、”最優秀社員賞”。貴殿はよく社の方針に従い、社業発展のため多大な尽力を尽くされました。ここにその功績を称え、表彰いたします。 平成13年6月21日 株式会社アールディーシー 代表取締役 大島 敏」。再び沸き起こった拍手の中で私は表彰状を受け取り、大島代表と硬い握手を交わした。大きな拍手でかき消される中、代表は私にしか聞こえない位の声で「おめでとう!よく頑張ったね。次は店長としてまた頑張ってね。」と、優しく労い、激励の言葉を掛けてくれた。何時までも成りやまない大きな拍手。その会場の時空を自分が独占した瞬間だった。よくプロ野球選手がホームランを打った時の感想で、「自分がダイヤモンドを1周してホームベースを踏むまでに、自分の為に時間が止まる瞬間が何とも言えない快感。」と言う事を聞くが、 恐らくその感覚に似ているのだと思う。とにかく今迄に味わったことの無い感覚だった。
私は席に戻り、もう一度頂いた表彰状を見直した。そこには間違えなく「最優秀社員賞」と書いてある。この賞の為に頑張っていた訳ではないが、目標を立てて、自分を信じ、仲間を敬いながら、ただ毎日がむしゃらに頑張って来た結果、店長未満では最高に権威の高い賞を頂く事が出来た。私はさっきまで必死に抑えて来た感情を、もう制御する事は出来なかった。私の目には涙が溢れた.....。
この大きな成功体験と、心の成長を持って、私はいよいよ「店長」になった。
そしてここからはまさにノンストップ!店舗数15店舗⇒250店舗へと、怒涛の10年間が始った。。
第4章へ続く.....



